大出世した官僚小説家
【Zhener】はい、今回の記事では紀昀(Ji Yun,1724-1805)を取り上げます。彼の字は”暁嵐(Ji Xiaolan)”か、なかなか格好いいですね。姐姐も字はあるのですよね?
【BaiNiang】私の字は”珍娘(Zhenniang)”なのです。真児のお友達には笑われてしまいましたが。
【Zhener】あいつは友達じゃないので気にしなくていい。さてこの紀昀ですが、隨園先生と同じで高級官僚なんですよね。
【BaiNiang】そうです。袁枚は早期リタイアして悠々自適の生活を送りましたが、紀昀は官僚として長く活動していました。乾隆帝の時代に編集された『四庫全書』の監督は彼です。その点でも大きな功績があります。
『閲微草堂筆記』
【Zhener】彼の主著は『閲微草堂筆記』か。確かにこれを面白いとは考える。しかしやたらとお高くとまった文章、なんとかならなかったのか?余計な一言二言が多いし。
【BaiNiang】確かに反発を買いそうな文章スタイルですよね(苦笑)。それと聊斎先生に対する評価が袁枚と異なります。
【Zhener】そうそう。袁枚が素朴に評価、愛好していたのに対し紀昀は「正統な文体ではない」と批判していた。
【BaiNiang】しかし彼も『聊斎志異』の内容の面白さは認めていました。この態度は彼の人生にも影響されているのでしょう。
権威主義の背景
【Zhener】それは?
【BaiNiang】まず高級官僚であること。次に彼は能力や名文を乾隆帝に評価されていました。皇帝や権力が彼の立場を支えていたという事情があるのでしょう。それが彼の姿勢・文体に表れている。
【Zhener】まあ、あまり紀昀のフォロアーって見ないもんな。馮夢龍や蒲松齢のようには。真似するのが容易ではないのかもしれないが。
【BaiNiang】その点では彼も幸せではないのかもしれませんね。しかし上記の二人もほとんどの方が真似はできませんでした。
【Zhener】人情味が足りなかったのかもしれない。蒲松齢は物語収集をする際、道行く人にお茶菓子をすすめていたんだろ?紀昀は高級官僚様なんだから、道行く人に北京ダッグやフカヒレをすすめたらよかったんだよ。
【BaiNiang】実際にそうしていたら、彼は後世もっと評価されたでしょうね。