趣味に生きた勝ち組エリート
【Zhener】今回の記事では袁枚(Yuan Mei)を取り上げます。彼は隨園先生という通称を持っていた。姐姐、この意味は?
【BaiNiang】彼の通称は彼が南京に買った屋敷の地名に由来します。あんな大都市に邸宅を構えられるのだから大したものですね。
【Zhener】たしか袁枚は科挙に及第していると聞きました。
【BaiNiang】そうです。しかし彼は中年期にリタイアしています。かなり若年で及第したため他者からのやっかみや不安が強かったそうです。とは言え科挙及第者は相当なエリートですから生活には困るどころか裕福な生活をしていました。この辺りが蒲松齡との違いでしょうね。
【Zhener】聊斎先生が科挙を諦めきれなかった理由が私にもわかります。超難関試験に及第しなくても成功できる社会は幸せだ。
【BaiNiang】話を戻しましょう。袁枚は食通としても知られています。それが高じて『隨園食単』という本も書いています。真児、私たちも『杭州新宮食単』を書きましょうか?
【Zhener】その企画はとても魅力的だ。しかしそれは5~6年後の世情が安定したときに取っておきたい。あの地域は海魚が美味しいしな。
【BaiNiang】そうですね。また彼は詩のレッスン料なども生活の糧にしていましたが、当時としては珍しく女性の生徒を取っていました。そしてそれを非難されてもいた。
【Zhener】何故?どうして?
【BaiNiang】女性を教えるべきではないというのが、当時の一般的な考え方だったそうです。現代はとてもいい時代ですよね。
【Zhener】全くその通りだ。まあ仙人の世界は女性も一端に扱われるのだが。私は現代も仙人業界も気に入ってるよ。姐姐にも感謝している。
【BaiNiang】真児、ありがとう(照笑)。
彼の主著『子不語(正確には『新齊諧』)』
【Zhener】さて、彼の作品ですが・・・『子不語』ですね。
【BaiNiang】はい。後に『新齊諧』と改題しますが。作品内容は世の怪異について語ったもの。孔丘は”怪力乱神”を語らなかったので、代わりに自分が語ろうという意味が元々はありました。
【Zhener】それが本当なら、隨園先生もなかなか野心的だなあ。で、その目的は達成されたんですか?
【BaiNiang】さあ、どうでしょう?