古代倭国の著名な詩人のひとり
【Zhener】この記事で取り上げるのは和泉式部(978?-?)。古代倭国の著名な詩人です。断言はできないが小説の様な日記も書いている。しかし彼女はイメージで損している。
【Clarimonde】私は彼女は大層モテたと聞いています。
【Zhener】そうです。しかし後世の人々は彼女を「浮気な女性」という枠に押し込めようとした。倭国は基本的に好色は悪いことではないのですが。
彼女の身体を通り過ぎて行った男性
【Clarimonde】”モテる”と”好色”は必ずしもイコールではないですからね。それにしても真児、これはどういうタイトルですか?
【Zhener】これは倭国で一般的である扇情的なタイトルなのだ(笑)。最初は和泉守・橘道貞。彼が彼女の最初の夫で、二人の間には娘(小式部内侍)も生まれた。が、その関係は後に破綻する(大体20歳程度)。当時の王子(為尊親王)と付き合いだしたからだ。
【Clarimonde】へえ、彼女はなかなかやりますね。
【Zhener】結局為尊との関係は彼が流行の伝染病で没して(1002)消滅した。ただし式部はこの件で実家に帰れなくなってしまった。彼女は暮らしていくには困らなかったようではあるからいいけどね。
【Clarimonde】二人で打ち止めではないですよね。
【Zhener】勿論。この王子の弟(敦道親王)が彼女に興味を持った。二人のやりとりは『和泉式部日記』に書かれている。この二人は子供もつくる(男子、後に出家)。また彼も兄同様若くして没する(1007)。その後当時の王妃(藤原彰子)に仕える。王妃の父の家司である藤原保昌(958-1036)と再婚する。
【Clarimonde】藤原保昌は武勇の人だと聞いています。しかも彼は60近い。男性の好みが変わったのでしょうか?
彼女の身体を通り過ぎて行った男性 その2
【Zhener】さあね。藤原保昌は単なる武闘派だけではなく当時一通りの教養も身につけていた。単純バカではないんだ。閑話休題するよ。和泉式部は確かにモテたが、それは彼女の一部であり全てではない。ところがこの一部が異様にクローズアップされてしまった。
【Clarimonde】陰湿な輩はいつの時代にもどこの場所にもいますね。本当に辟易しますよ。
【Zhener】『沙石集』では、彼女が伏見稲荷(京都市伏見区)で体験したことが書いてある。次に『御伽草子』に収録された彼女の話。特に後者は悪意しか感じんわ。
【Clarimonde】確かにひどいですね。しかしここまでアホなことを考えられるのはある意味で凄いかな。一体この著者は、和泉式部に何をされたのでしょうか?
【Zhener】多分何もされてないだろ。私たちがそうであるように、自分の考えをもって行動する女性が嫌いなんだろ。モテることが悪いことか?
【Clarimonde】そうですね。あとは・・・教養のある女性が嫌いなんでしょうね。そんな女性に負ける男性は自分自身をもっと嫌いにならないのでしょうか?
【Zhener】ならない。あいつらは自分に甘いから。