現在の時代を反映している?
【Zhener】この記事では魯迅(Lu Xun, 1881-1936)を取り上げます。彼は小説家のみならず文芸評論家でもあったんですよね。そして姐姐の大ファンでもあった。これ読んでる読者、逆じゃないですよ?
【BaiNiang】そうです、少し照れ臭いですね(微笑)。彼は私についての評論もしています。
【Zhener】彼は短編小説を多く残した。それらは帝国主義諸国(UK,FR,RU,USA,倭)に切り取られていき、しかもそれをどうとも思っていない中国人たちを鋭く厳しく批判するものだった。ただ、それらは中国人・中国系のみならず他のどの国民・民族にも当てはまるものだったりする。
【BaiNiang】世界の幾つかの地域を見ると、それはよくわかります。
【Zhener】彼曰く「このどうしようもなくみじめな奴らはお前らだぞ!お前ら、どう思うんだ!」と怒りを突き付けた。
最高傑作は「狆」の話
【Zhener】しかしそれでも中国人は動じなかった。小説には人を動かす力がなかったのか。
【BaiNiang】私は感受性と文章読解能力の問題があると考えます。どれほどの美文であっても、読む者に理解する力がないと心には届かない。
【Zhener】そこで彼はもう小説ではなくダイレクトな随筆を始めた。その中の最高傑作が「狆」の話だと私は考える。
【BaiNiang】「フェアプレーは時期尚早」ですね。あれくらい直接的に書けば誰でも理解できるだろう、と私は思います。具体例まで挙げていましたし。
Effect of LuXun in China-Cultural Area
【Zhener】姐姐、彼の随筆の影響は現在の中国の発展興隆にどれくらいあったと考えますか?
【BaiNiang】残念ながら、ほとんどなかったと考えます。現在の地位は彼ら彼女らの小さな努力の積み重ねでしょう。小説や随筆は無力ではありませんが、大きな力は持っていない。
批判
【Zhener】私の批判も聞いてください。まず登場人物がほぼ全て生まれた時点で人生に敗北している。後味の悪い小説に価値がないとは考えないが、ここから何かを学ぶことは難しいのではないか。
【BaiNiang】古今東西によらず生まれである程度人生が決まってしまうことはよくあります。かといって努力万能でもないのですが。
【Zhener】それと彼は高いところから因循姑息な中国人どもを批判・断罪する。では魯迅は一体何人で何を代表しているのか?
【BaiNiang】真児、確かそれはエドワード・サイード批判ではなかったですか(笑)?
【Zhener】まあ受け売りなんだけどさ(苦笑)。姐姐は的外れに感じたのか?
【BaiNiang】的は外してはいませんよ。具体的にどうすればいいのかも書いてはいませんし。時代が進んでやっと解決したのかもしれません。
それでも魯迅は読まれるに値する
【Zhener】これは私の私的体験だ。奪われつくした者は「闘う」「逃げる」「抵抗する」「出し抜く」ということすらできない。それすら奪われている。私は昔いわゆる”情報弱者”相手に商売をしてみてそれを痛感した。
【BaiNiang】ええ、私もそれを聞きました。そして「真児、もう撤退すべき」とアドバイスもしました。しかしあれは私も驚きました。曲がりなりにも読み書きができて情報へのアクセスも確保できている人たちがあんなのとは・・・。
【Zhener】そいつらの幸不幸はもう偶然でいい。しかしああいうのが増えないように魯迅は読まれてほしい。
【BaiNiang】でも大体の方は「自分はこんな愚か者じゃない」と言って怒り出すんですよね。
【Zhener】実際には身に覚えがあるんじゃねえのか、と思うけどね(笑)。